1903年(明治36年)「第5回内国勧業博覧会」が開催されました。出展された8台の外国製自動車は人々の関心を集め、国産車づくりの意欲をかき立てました。そして、1904年に、国産蒸気自動車の製作に成功しました。
また、日本初のガソリン車では、ボディーはフランス車ダラック、ミッションやエンジンなどはアメリカ車のフォード・モデルAを参考にしたそうですが、「ガタクリ・ガタクリ」と大きな音で走ったことから、タクリー号と呼ばれたそうです。
※左記写真
「国産吉田式自動車(タクリー号)」画像をクリックすると拡大表示されます。
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