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第15話 世界に広がる販売網

国産車の品質の向上で、昭和47年ころから日本国内ではエンジン補修部品の需要はほとんどなくなってきたが、輸出は逆に増えていた。例えば、マニラでは小型トラックに20人もぶら下がって乗っているし、5トン積みのトラックに15トンも積んで走っている。その上、整備技術もあまりよくないので、1年に1回はエンジンを開かなければ車は動かなくなってしまう。

エンパイヤ自動車の戦後の貿易は昭和23年のアルゼンチン、チリ、ブラジルへの輸出に始まり、中近東、東南アジア、アフリカにも拡大した。
昭和41年から45年まで毎年、輸出貢献企業に認定され、通産大臣表彰を受けているのは、上記各地域への輸出によるものである。
従って担当部門の名称も輸出部と呼んでいたが、国産車の輸出増加に伴って、日本車の補修部品を世界全域に輸出を始め、部の呼称を時代に即応した海外部と改めるとともに体制を強化した。
昭和48年3月、輸出部を海外部に改めると同時に、米国にアメリカ駐在事務所を開設した。

この頃、海外部では北米、中南米、欧州、中近東、アフリカ、アジア、オセアニアなどの約70カ国に輸出し、アメリカのロスアンジェルスとニューヨーク、シンガポールに、それぞれ現地法人を設けて活発な情報収集、営業活動を行っていた。
現在では、ロスアンジェルスに駐在所をおき、シンガポール、マレーシアに現地法人を設けている。

流通チャンネルの激しい移り変わりの中で、エンパイヤ自動車が取り組んだ最も大きな組織づくりは、エンパイヤ協力会とエンパイヤ会の設立である。
前者は昭和48年発足の優良部品メーカー30数社とエンパイヤ。
後者は昭和49年発足の全国有力部品商約500社とエンパイヤを結ぶ組織。
当社のメインラインになっている優良部品の流通チャンネルを確立するためには、メーカーも地方部品商も通りいっぺんのお得意的な付き合いではなく、3者が1体となった運命共同体でなければならない。そうあらねば本当に魂の入ったタイアップにはならない。
このため当社では全国津々浦々の有力得意先流通チャンネルを確立しつつ、卸商の機能としてのアベラビリティー、 品揃えを完備し、合わせてユーザーから吸いあげる末端情報に即反応できるルートづくりを進めてきた。

両会の規約は目的と事業を次のように掲げている。

【エンパイヤ協力会】
■目的
本会は、エンパイヤの基本方針に則り、相互の意志疎通を図り、協力体制を築くと共に、企業運営の円滑化、並びに経営の合理化を推進し、会員及びエンパイヤの発展に寄与し、共存共栄の実を挙げ、併せて親睦を深める事を目的とする。
■事業
1、販売協力に関する計画ならびに実施
2、講習会および研究会の開催
3、その他、全条の目的を達成するに必要な条件

【エンパイヤ会】
■目的
本会は業界の客観情報に対応し、有力自動車部品、用品販売店を中心に有効適切な措置のとれるよう、会員相互の親睦と共同利益の確保、会員の発展のために必要な事業ならびに研究を行い、当業界に貢献することを目的とする。
■事業
1、会員の利益を増進するために、ユーザーならびにメーカーを交え情報の交換を行う。


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