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第10話 戦後の部品業界

戦時中の戦時統制により日本自動車配給株式会社の下部機構として、各府県に地方自動車配給株式会社が設立されていた。戦後の解体と同時に、この地方自動車配給株式会社が母体となり国産車のディーラーが誕生していった。
このとき部品商として独立するものも出てきたが、補修部品の流通は主として国産車ディーラーの手によった。

一方、戦時中、陸軍の大砲を引っ張る大型キャタピラの重車両を作っていた日野重工株式会社の社長から柳田は『膨大な設備と人をかかえてこれからどうしたものか』と相談を受けた。終戦と同時に大型キャタピラなどは無用になってしまったためである。
そこで柳田は、今ある設備を使ってトレーラートラック、トレーラーバスを製造することをすすめ、できた車はエンパイヤ自動車で売ることを約束した。
その後、日野重工業は社名を日野ヂーゼルに改め、普通自動車の製造も始めるようになってきた。

エンパイヤ自動車はフォード代理店権を復活させ戦後日本で初めての自動車輸入指定会社になった。しかし、フォード車を販売する事にあたり、とても一つのビルで部品と自動車販売を扱うことができなかったため、ニューエンパイヤモーター株式会社を設立することになった。

東京・虎ノ門に建設されたニューエンパイヤモータース。

昭和22年8月、GHQ(連合軍総司令部)は制限付きで民間貿易の再開を許可をした。
終戦からの日本の貿易は、米軍と日本政府の手を通じてのみ行われていた。つまり、日本政府は米軍の指示する品物を国内で買い上げて、これを米軍に渡し輸出する形がとられていた。しかし、日本の輸出が1に対し輸入は3と極端な入超になっていたため、輸出を振興させる必要があった。民間貿易の再開はそのための一手段であった。

エンパイヤ自動車はいち早く、ブラジル、チリ、アルゼンチンなど南米各国への輸出を開始した。
そのころの日本ではめったに見られなくなった初期のフォード車がまだかなり使用されていて、この車の補修用部品が大量に必要とされていた為である。その後、中近東、東南アジア方面からの部品要求も多くなってきた。

貿易が盛んになるにつれて、エンパイヤ自動車の商標も海外で知名度をあげてきた。
ちょうどブラジルなどへの輸出をはじめた頃、アメリカのゼネラルモータースから『エンパイヤ自動車はGMの類似商標を使っているから、使用をやめてほしい』と文書で申し入れてきた。
GMが製造している、モーターの商標に“”を使用しているので、エンパイヤの“”はその類似であるというもので、アメリカ占領軍からもかなり圧力がかかってきた。
これに対抗するためには、エンパイヤ自動車がいかに古くから“”の商標を使っていたかを立証する必要があり、次の様な内容を抗弁した。

当社は大正14年からフォードの代理店になった。“”のマークはその時から使っている。そして、この最たる証拠は、まず東京を舞台にした映画で、自動車の出てくる場面にはだいたい“”のマークがついた自動車が登場する。

昭和5年新興キネマ映画社制作による、『花咲く樹』に登場するフォードT型車に取り付けられ、画面に撮し出されている。

現在、車には販売したディーラーの社名を印刷したシールが張り付いているが、戦前は七宝焼きの商標をラジエーターの前に取り付けていた。


ラヂエターグリルに取り付けられた商標。

このように立証し問題は解決した。それをきっかけに、昭和26年6月30日『“”』『EMC』『イーエムシー』の3つの商標を登録した。


昭和23年ころになると部品商を相手にした問屋が増え、虎ノ門から溜池あたりに日本のデトロイトといわれるほど門前市をなし、その盛況ぶりは昭和26年ころまで続いた。

しかし、ここまで売れるが故に粗悪部品も市場に氾濫していた。戦後の物資欠乏で材料も悪いし機械加工も悪く『三日コイル、三日コンデンサー』という言葉がはやるほど、ユーザーからの苦情が絶えなかった。

自動車は戦後の輸送の大動脈であり、安全確保の面からも優良部品製造の早急な確立を迫られた商工省は、昭和22年3月30日、商工省令をもって『優良自動車部品認定規則』を公布した。これは昭和13年3月告示された『優良自動車部品及自動車材料認定規則』の復刻版ともいうべきもので、ここでいう優良自動車部品とは組み付け部品から補修部品まですべてを含んだ品質、性能に対するものであった。
昭和23年5月19日第1回認定が開始されてから毎年1~2回の認定が行われ、昭和28年12月18日までに9回実施された。その間993点の受理があり、認定された部品は673点、認定工場として550工場の申請があり、351工場が認定された。認定には、工業技術院、機械試験所が担当していた。
昭和28年以降はJIS制定に伴ない自然消滅しているが、認定された部品の多くはJIS商品になった。


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